日光にある漬物屋さんの保存車。電気機関車が綺麗に再塗装されたと聞いて訪問しました。
入口で迎えてくれるのは、1969年(昭和44年)協三工業製のスイッチャー。形態はいたって標準的な国鉄の入換動車ですが、日光駅・今市駅で入換に使用されていたご当地もので、所縁の地で保存されています。キャブの妻面窓にレンズを近づけてフラッシュをたくと、内部の銘板を綺麗に読み取ることができました。
- 形 式 : DB.10(ドット「.」の意味はよく分かりません。動車によっては無い場合もあり)
- 製造番号 : 10626
- 製造年 : 昭和44年3月
- 呼ビ重量 : 10t
- 定格引張力: 1,350kg
- 定格速度 : 13km/h
- 協三工業株式会社
屋外展示にもかかわらず保存状態が良いですが、閉店時間中は毎日カバーをかけているのでしょうか。
こちらは裏手にある東武鉄道ED4010形電気機関車ED4011。戦時中に東京芝浦電気が海南島の日本窒素専用鉄道向けに製作した、正真正銘の東芝戦時型です。日本窒素専用鉄道向けにはD51タイプの蒸気機関車も製造されましたが、おそらくSLが本線用で、このELは鉱山から麓のヤードまでの勾配区間(いわゆる下部軌道)に投入する予定であったと思われます。満鉄の石炭輸送も本線はSLでしたが、撫順炭鉱専用鉄道は電化されており、東芝・日立・三菱製の凸型ELが使用されていましたので、海南島のSLとELも似たような役割分担を念頭においていたと考えるのが自然です。
渡辺肇著「日本製機関車製造銘板・番号集成(1982.3)」と、近年発表されたイカロス出版「電気機関車EX Vol.14(2020)」の巻末に、東芝の電気機関車の製造台帳が掲載されています。両者を比較すると記載内容に若干揺らぎはありますが、ED4011に関しては矛盾はありませんでした。日本窒素発注の東芝戦時型は、1943年に製造番号307250が、翌1944年に307800が、それぞれ4両ずつ、合計8両製造されました(東芝製電気機関車の製造番号の付番ルールは製作指示番号方式のため、日立製の1951年以降の電気機関車同様、同一ロットの製造番号はすべて同じです)。このうち製造番号307800のうちの2両が東武鉄道に割り当てられ、1946年製ED40形ED403・ED404として竣工しました。のちの形式称号改訂で、ED4010形ED4011・ED4012に変更されています。日本窒素発注の東芝戦時型の自重は40tですが、後の改造なのか車体表記は換算4.5(自重45t)になっています。
なお、東京芝浦電気が日本窒素専用鉄道向け以外の国内向けに製作した凸型電気機関車は、戦前製・戦後製を問わず車体幅が2,900mm未満と短いので、外観でも容易に区別することができます。
私が初めて東武鉄道の電気機関車が動いているのを見たのは、千住貨物駅の入換です。到着した貨車を着発線(現在の北千住-牛田間の電留線のあたり)で切り離し、機回しして連結、北千住寄りに引き上げてから推進で京成電鉄をくぐり、貨物駅へ押し込んでいました。後にも先にも、千住貨物駅の入換を見たのは、その1回限りです。台車は昭和36年住友金属工業製FS29で、あとから振り替えたものでしょうか。
2両とも保存状態が良く、年始早々感動しました。お土産に漬物を2袋購入しました。
2015年冬撮影。
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